ご挨拶
第15回日本子ども虐待医学会学術集会のホームページにお越しくださり、誠にありがとうございます。大会長として一言ご挨拶を申し上げます。
私自身は1999年に医学部を卒業しており、いわゆる虐待防止法が施行される前に医師になった最後の世代になります。医者になりたての頃に新生児健診を行った子どもたちの世代が研修医として現れる頃合いであり、医師として過ごした時間が人生の半分を超えるようになりました。その間に出会った子どもたちは幸せな人生を送っているのだろうか? その答えを知るすべはあまりありませんが、中には、父親や母親という立場で再び小児医療の現場で再会する機会も出てきました。長く医師を続けていたご褒美の巡りあわせなのだと思っています。
さて、第15回大会のテーマは「智(ち)・医(い)・絆(き)をあげて守り抜く:子どもの君を、子どもだったあなたを」と致しました。単なる知識(知)を超えた本質を捉えた愛ある言動の実践である「智」と、健全な状態が損なわれた心身を癒す「医」と、お互いの強みを生かし支え合う「絆」を基盤に、地域社会という親子と直接的な連続性のある「縁」で結ばれた「円」の中で、医療者が親子、そしてそれを支える諸機関から信頼を勝ち得たうえで、支え、支えられる存在に如何になれるのかを改めて考え、そのヒントを参加者が地域社会に持ち帰ることの出来る学術集会にすべく、鋭意準備を進めているところでございます。
「守る」ではなく「守り抜く」としたところには、冒頭で述べた「生まれたばかりの新生児から、次世代の担い手となるヤングまでオールマイティーに継続して関わり続けることが出来る」という小児医療者の強みを活かし、小児医療者がリーダーシップを発揮すべきという思いを込めています。医療者と患者さんとの関わりは、病める立場の人々が再び健康を取り戻すお手伝いをする“ほんのひととき”の関わりでしかないかもしれません。しかしその関わりが、子ども達の長き人生の支えになることもあると、我々は我々自身の持つ力を信じる必要があります。困っている子どもや家族に手を差し伸べるうえで、限界を自分たちで決めてはならないとも感じていますし、一旦差し伸べた手を決して安易に引っ込めないという意識も必要です。様々な困難を抱えながら、繋ぐ安心する手を持たず、虐待関係に陥ってしまった親もかつては子どもでした。「そこまで苦しい思いをしていることに、気付いてあげられなくてごめんね」この言葉は、決して子どもだけに届けるものではありません。
ある研究では、虐待の疑いが持ち上がり関係機関が関与した家族への面接調査で、「家族の状況が以前よりも良くなった」という回答は50.0%であった一方で、「ひどい目にあい、状況は悪化した」との回答が22%を占めていたと報告されています。援助技術を上げ、連携を強固にし、少しでも後者の感情を抱く人を減らす努力を弛まず行う必要があることは言うまでもありませんが、ときに理不尽なまでに責められ傷つくことも稀ではありません。我々の仕事は、前者の感謝は伝えられず、後者の非難のみにフォーカスが当たるタフでなくては到底務まらない仕事とも言えるでしょう。
コロナ禍で対面での学会開催が困難であった数年を経て、15回大会は懇親会を含めた対面交流が本格的に再開出来ることを期待しております。地域社会を超えたより広域の関係性の構築もまた、学術団体が本来的に有する存在意義でもあると考えています。一方、コロナ禍を通じWeb配信での学習機会が増え、学術集会における新たな参加手段として広まるという変化もありました。ポスト・コロナの過渡期における学術集会の在り方はいまだに手探りではありますが、本学会がまだまだ裾野を広げていくべき段階の学術分野であることを鑑み、貴重な学びをアーカイブ化し広く利用可能にする手段としてのWeb配信を含めたハイブリット形式で実施することと致しました。
ただ、タフであらねばならない我々も、一人一人は弱いちっぽけな人間に過ぎません。日常臨床で力及ばず無力感に苛まれることも稀ならずあるでしょう。そのような辛さを分かち合い癒しあい、再び力強く立ち上がるエネルギーを与えてくれるのも、また人と人との絆です。当学会の学術集会の場は、エネルギーに満ち溢れています。ご都合が許すのであれば、ぜひ皆様にお越しいただき、エネルギーのさらなる供給源になっていただきたいと願っています。いささか不便でいささか暑い前橋の地ではありますが、「知を智に変える何かが前橋にはあった」と感じていただけるように精一杯準備させていただきます。
末筆ではございますが、皆さまのご参加を心よりお待ちしています。
令和5年9月吉日
第15回日本子ども虐待医学会学術集会
大会長 溝口史剛(群馬県前橋赤十字病院小児科)